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東京ベランダ通信

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2009年 08月 18日

69

2009/08/18(火)
曇り時々晴れ/29℃
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青春小説つながりで村上龍の『69 sixty nine』を読み返す。
『色即ぜねれいしょん』は1974年の京都と隠岐島が舞台だった。
『69sixty nine』の舞台は1969年の長崎・佐世保である。
主人公は17歳。もちろん童貞で(笑)、無垢で傷つきやすく、いまにも爆発しそうな青春のエネルギーで溢れている。

学生運動、バリケード封鎖、ロックンロール、フェスティバル、受験戦争、love&piece。そんな1969年…。

村上龍はこの小説のあとがきに「いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。唯一の復しゅうの方法は、彼らより楽しく生きることだと思う。楽しく生きるためにはエネルギーがいる。戦いである。わたしはその戦いを今も続けている。退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう」と書いている。過激だ。でも素敵だ!

オレが高校生だった1972年は、学生運動もとっくに下火になっていた。校舎をバリケード封鎖したこともないし、教師に家畜化されたとも思っていない。もちろん殴られたこともないので、教師に復しゅうをしようという気はさらさら無い。ただ、楽しく自由に生きる戦いはしているつもりだ。

夏休みは原チャリで多摩川を上り、8年ぶりに夏フェスに行き、『色即ぜねれいしょん』を読んだ。
そしたらオレの心の奥でくすぶっていた青春の熾火が再び発火した。

のりピーのようなヤバい薬でキメなくても、近ごろヤケにハイテンションなのだ。頭の中がフェスティバルだ。ロックンロールがガンガン聞こえる。セクシー美女が “カモーン!” って手招きしている。そんな感じ…(笑)。

このブログもずっと“ボク”で書いていたのに、いつの間にか“オレ”になってる。テーマである“ベランダ”も、とんとご無沙汰って感じ。青春にベランダは似合わない。男ってホント単純だ。でも、これでいいのだ。(バカボンのパパか!)。しばらくは、こんな自分を楽しみたい。


サミュエル・ウルマンの詩を引用する。

青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安・易(やすき)に就こうとする自らを戒め、冒険する心を忘れてはならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、
雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。
そのような人は神様のあわれみを乞うしかない。
                           (『youth(青春)』より)

by novou | 2009-08-18 23:53 | 番外編 | Trackback | Comments(0)
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