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東京ベランダ通信

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2010年 04月 18日

サヨナラ稚内

2010/04/18(日)
曇り/6℃(wakkanai)

稚内では木金土と3泊する予定だ。
3泊といっても平日をフルに使えるのは金曜だけだ。
この一日で郵便局へ行って郵便物の転送届を出し、銀行で新たなキャッシュカードを作り、年金機構で母の年金の確認をし、電話、ガス、NHKの受信料など、諸々の手続きをし、シルバーセンターに庭木の冬囲いの取り払いをお願いした。とにかく、ありとあらゆる“届け”にサインをし、電話をかけまくったのだ。

土曜は家の中の整理と、東京で暮らすための衣類や日用品の荷造りに追われた。

両親がこの家に暮らして35年たつ。
35年分の澱がこの家には溜まっていた。

押入れには箱に入ったままのタオルやシーツ類が隙間なく詰め込まれていた。そのほとんどが香典返しなどのお返し物だ。

何枚か東京に送ろうと思って箱をあけたら、タオルにはたくさんの茶色のシミが出ていた。大きな段ボールにひとつ分、「雑巾にでもして使ってください」とご近所に引き取ってもらった。

台所や納戸の棚には、これまたお返しのお茶や海苔や洋酒が詰め込まれている。そのほとんどが、とっくに賞味期限が切れているのだ。なかには10年前に賞味期限が切れた小麦粉やパン粉、茶色に変色したかんぴょうや、缶が膨らんだサンマの缶詰めもあった。

冷蔵庫や冷凍庫の中の食品は、食べられるものはご近所さんに貰っていただいき、封を開けたものやタッパーに入っていた物は全部廃棄した。

あと数年、老夫婦がここで暮らしていたら、ごみ屋敷だったかもしれない。

片っ端からゴミ袋に期限切れの食品を捨てた。捨てている間、食が細くなって食べる量が減ってしまったことや、身体がいうことをきかなくなって、片付ける気力が萎えていた両親のことが知れて、なんともいえない気持ちになった。

とりあえず70ℓのゴミ袋に18個、捨てた…。

日曜日は稚内を後にする日だった。

父のことは親しい隣人にしか知らせていなかったのだが、たくさんのご近所さんがお別れに来てくれた。

みんな「早く治って帰ってくるんだよ」と涙を浮かべて父母の手を握り、励ましてくれた。

父に食べさせたいと蟹汁を作って持ってきてくれたり、家の片づけを手伝ってくれた伊藤のオバサンは「父さんを絶対に元気にして連れて帰ってくんだよ」と、ものすごい力でボクの手を握り「約束だかんね」とポロポロ泣いた。ボクも鼻の奥がツンとなった。

稚内空港までは伊藤さん夫婦のクルマで送ってもらった。

両親が疲れないようにとチェックインしてすぐに優先搭乗させてもらったのだが、伊藤のオバサンはボクらが飛行機に乗り込むまで、ずっと手を振ってくれた。

飛行機は珍しく満席だった。

離陸すると飛行機は右翼を下にして大きく旋回する。
真下に見える稚内の風景を、父は食い入るように見ていた。
母は帽子を目深にかぶり、ずっとハンカチで目頭を押さえていた。

気温6℃。
鉛色の海に白い波が立っていた。

最北の街、稚内らしい殺伐とした風景だった。

by novou | 2010-04-18 23:02 | 番外編 | Trackback | Comments(0)
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