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2019年 01月 05日

猿楽町歩道橋

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ドリカムやゆずの歌にも歌われた代官山の猿楽町歩道橋が今年撤去される。
橋歴板には「1970年3月東京都建造」と書かれているからすでに設置されてから49年も経っている事になる。

歩道橋が普及し始めたのは1964年の東京オリンピック以降だ。
とくに美濃部都知事時代(1967年〜1979年)に一気のその数を増やした。

猿楽町歩道橋もそのひとつ。

猿楽町歩道橋が設置された年の交通事故による1年間の死者は全国で1万6765人にものぼる。
2014(平成26)年までの統計の中で最悪だった。

経済成長に伴って、モータリゼーションが進んだ結果、交通事故による死者が急増し、そして「交通戦争」という言葉まで生まれた。

ちなみに「交通戦争」は交通事故の死者数の水準が、日清戦争での日本側の戦死者数(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして付けられた名称だそうだ。

歩道橋の設置によって確かに交通事故は減ったのだが、地域の生活を考慮した細やかな配慮は見られなかった。
猿楽町歩道橋が狭い舗道に強引に橋脚を建て込んだことを見ても、なり振り構わず歩道橋を設置したことが分かる。

歩道橋を撤去すれば重要文化財の「旧朝倉家住宅」へのアクセスを容易にし、代官山に新たな回遊性が獲得されるメリットがあるとされている。

撤去後はガードレールや植栽も撤去され「信号による横断歩道の設置」と「自転車道の整備」が行われるそうだ。



原宿の表参道歩道橋が撤去されたことはまだ記憶に新しい。

近年はバリアフリーや景観の問題から歩道橋を見直し、撤去する例が多くなってきている。
時代の趨勢なんだろうな。

だけどボクは猿楽町歩道橋の上から旧山手通りを眺めるのが好きだった。


代官山の歩道橋の上から 眺めているのは
変わらぬままのオレンジの夕陽 街を染めてゆく
お金はないが持て余した時間 夢ばかり膨らんでた
すれ違う若者達にあの頃の僕らを重ねて

古着屋をめぐって抱えた荷物 くたびれてベンチに座って
寒空の下の公園だって ずっと語り合えた
いつかこの街に住んでみたいなと瞳を輝かせながら
午後ティーをカイロ代わりに互いの手を暖めた

(以下略 ゆず「代官山リフレイン」 作詞、作曲北川悠仁)


ゆずはあまり好きではないが、この歌詞は代官山に住む事を夢見たボクにはグッとくる。


参考・代官山建築エッセイ No.6代官山歩道橋(元倉眞琴)、朝日新聞、Wikipedia

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by novou | 2019-01-05 10:34 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
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