東京ベランダ通信

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カテゴリ:街の記憶( 48 )


2019年 01月 23日

樹の花とジョン&ヨーコ

35年前、あたりに大きな建物はなかったのだ。
せいぜいマガジンハウスと歌舞伎座ぐらいだ。

昭和通りから1本北に入った木挽町通り。
料理屋や飲み屋がぽつりぽつりとあっただけだ。

それがいまや高層ビルだらけ。
歌舞伎座自体が高層ビルになっちまって、見上げても空が見えない。

まわりの印象があまりにも変わっていたので、たどり着くのにちょっと時間がかかった。


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銀座・樹の花。

ここはジョンとヨーコが訪れた伝説の店だ。

ある雑誌のグラビアで銀座を特集することになって取材させてもらった事がある。

それが35年前だ。

取材当時はジョンとヨーコがやってきてサインを残していったというだけのあまり特徴のない店だった。



暗く細い階段を上って2人がここにやって来たのは1979年。

樹の花が開店してまだ4日目のことだった。


4年ぶりに来日していた彼らは、この日、息子のショーンを映画館に連れて行き、
ショーンが映画(スーパーマン)を見ている間、ここで待つ事にしたのだ。

座ったのは入り口に近い窓側のテーブル。

ここからは木挽町通りを行き交う人々がよく見える。

時間を潰すにはちょうどいい。

ジョンは中深炒りのコロンビア。ヨーコはダージリンティー。

互いの目を見つめながら楽しそうに語り合うジョンとヨーコ。



あれから40年という月日が経った。

ジョンはこの店を訪れた翌年の1980年に自宅前で暗殺されている。

歌舞伎座がタワーとなって竣工したのが2013年。

時はあまりにも早く駆けていく。

樹の花は店内がセピア色に染まって伝説の店としての重みも増している。

12月8日のジョンの命日、店を訪れるファンも多いという。


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ジョンが飲んだコロンビアコーヒーとアーモンドクッキーのセット。このクッキーのキャラメル感とコーヒーの苦さの相性がとてもいい。
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by novou | 2019-01-23 12:03 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 10日

同潤館 !?

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青山同潤会アパートが取り壊されたのは2003年。
2006年には安藤忠雄の設計で表参道ヒルズが完成した。
写真は表参道ヒルズの東端。

ボクはずっと青山同潤会アパートの1棟を修復して保存したものだと思っていた。

でも調べてみると、この部分は同潤会アパートで使用されていた部材を再利用し復元したもので、
正確には同潤会青山アパートではなく表参道ヒルズ同潤館というらしい。

いまや同潤会建築はすべて姿を消してしまったので、
同潤館は復元ではあるが、当時の雰囲気を伝える唯一の建物となっている。



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by novou | 2019-01-10 18:32 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 05日

猿楽町歩道橋

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ドリカムやゆずの歌にも歌われた代官山の猿楽町歩道橋が今年撤去される。
橋歴板には「1970年3月東京都建造」と書かれているからすでに設置されてから49年も経っている事になる。

歩道橋が普及し始めたのは1964年の東京オリンピック以降だ。
とくに美濃部都知事時代(1967年〜1979年)に一気のその数を増やした。

猿楽町歩道橋もそのひとつ。

猿楽町歩道橋が設置された年の交通事故による1年間の死者は全国で1万6765人にものぼる。
2014(平成26)年までの統計の中で最悪だった。

経済成長に伴って、モータリゼーションが進んだ結果、交通事故による死者が急増し、そして「交通戦争」という言葉まで生まれた。

ちなみに「交通戦争」は交通事故の死者数の水準が、日清戦争での日本側の戦死者数(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして付けられた名称だそうだ。

歩道橋の設置によって確かに交通事故は減ったのだが、地域の生活を考慮した細やかな配慮は見られなかった。
猿楽町歩道橋が狭い舗道に強引に橋脚を建て込んだことを見ても、なり振り構わず歩道橋を設置したことが分かる。

歩道橋を撤去すれば重要文化財の「旧朝倉家住宅」へのアクセスを容易にし、代官山に新たな回遊性が獲得されるメリットがあるとされている。

撤去後はガードレールや植栽も撤去され「信号による横断歩道の設置」と「自転車道の整備」が行われるそうだ。



原宿の表参道歩道橋が撤去されたことはまだ記憶に新しい。

近年はバリアフリーや景観の問題から歩道橋を見直し、撤去する例が多くなってきている。
時代の趨勢なんだろうな。

だけどボクは猿楽町歩道橋の上から旧山手通りを眺めるのが好きだった。


代官山の歩道橋の上から 眺めているのは
変わらぬままのオレンジの夕陽 街を染めてゆく
お金はないが持て余した時間 夢ばかり膨らんでた
すれ違う若者達にあの頃の僕らを重ねて

古着屋をめぐって抱えた荷物 くたびれてベンチに座って
寒空の下の公園だって ずっと語り合えた
いつかこの街に住んでみたいなと瞳を輝かせながら
午後ティーをカイロ代わりに互いの手を暖めた

(以下略 ゆず「代官山リフレイン」 作詞、作曲北川悠仁)


ゆずはあまり好きではないが、この歌詞は代官山に住む事を夢見たボクにはグッとくる。


参考・代官山建築エッセイ No.6代官山歩道橋(元倉眞琴)、朝日新聞、Wikipedia

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by novou | 2019-01-05 10:34 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 07日

いちょうの黄葉

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交通規制が敷かれ、大混雑となる外苑のいちょう並木↑より、

のんびりとそぞろ歩けるコチラのいちょう並木↓が好き。



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by novou | 2017-12-07 09:17 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 17日

朝の音2

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新聞配達のバイクの音が聞こえると一日の始まり…。
牛乳屋さんの軽トラはカチャカチャ鳴るからすぐわかる。
小学校に登校する子どもたちの声が聞こえてくるのは8時頃。
にぎやかな声にいつも元気をもらっている。
8時半になるとマンションの管理人が周囲の掃除をはじめる。
シャッシャッという竹箒のリズムが心地いい。
平和な朝、穏やかな一日の始まり…。
ありふれたものが、ありふれてある尊さを感じながら今朝も顔を洗う…。
(2009/05/25からの再録)

8年前にこんなことを書いたけど、いつの間にか牛乳屋さんの軽トラの音は聞こえなくなったし、
管理人さんも代わって竹箒の音も聞こえなくなった。
生活の音がだんだんなくなって、渋谷は工事の騒音ばかりが聞こえてくる。(とほほ)
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きょうも一日お元気で…。




by novou | 2017-05-17 08:21 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2015年 06月 04日

グリーンハウスコレクション⑱

グリーンハウスコレクション⑱

ツタに覆われた家や、緑いっぱいの建物を“グリーンハウス”と呼んで採取(撮影)しています。
いまや、ボクの散歩の時のお楽しみでもあるのです。

近ごろは、再開発が進んで、駅周辺ではなかなかお目にかかることができなくなりましたが、
住宅地の路地裏を歩くと、まだまだいい物件があるものです(^_^)v。

文末のタグ‘green house’をクリックすると、過去のコレクションもみられます。
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by novou | 2015-06-04 13:57 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2012年 09月 08日

あなた知ってる 港ヨコハマ♬ ⑤

2012/09/08(土)
くもり時々雨/32℃

ヨコハマシリーズの続きである。

今回もちょっと長くなる(^_^;)。

先日のエントリでヒルサイドテラス→代官山T-siteと、「代官山の地に眠る物語」について少し書いた。(コチラ

実は代官山には、エピソード3ともいえる物語がまだあるのだ。

横浜の山手イタリア山庭園に「外交官の家」がある。

この外交官とは、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使をつとめた明治政府の内田定槌(さだつね)のことだ。

アメリカン・ヴィクトリア様式の影響を色濃く残したこの邸宅が建てられたのは明治43(1910)年のこと。
設計はJ.M.ガーディナーである。

実はこの邸宅、我がマンションの隣にあったのだ。
といっても、昭和47(1972)年に取り壊されているから、ボクは在りし日の姿を見たことはない。

イタリア山庭園に建っている邸宅は、平成9(1997)年に、保存されていた部材をイタリア山に運んで移築復元したもので、その年には国の重要文化財に指定されている。

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(こちらは同じ敷地に建つブラフ18番館)

太平洋戦争中の昭和17(1942)年、内田は77歳でこの世を去り、戦後、邸宅はGHQに接収されて米軍将校の宿舎として利用されている。

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(内田邸サンルーム)

ここまでの話だけでも、「代官山の地に眠る話」としては相当面白いのだが、内田邸はこのあとも意外な住人たちによってエピソードが紡がれていくことになる。

米軍が去り、昭和32(1957)年に内田邸に引っ越してきたのが「アド・センター」だった。
堀内誠一などが中心になって設立されたアド・センターは、『平凡パンチ』『an an』などの制作を通し、日本の雑誌にビジュアルの美しさや遊びゴコロを持ち込んだ革新的な制作会社だった。

1972年に閉鎖されたが、その後、カメラマンの立木義浩、「ピンクハウス」の金子功、デザイナーの花井幸子など、ここを巣立ったクリエーターたちの活躍は目覚ましく、雑誌、ファッション業界に与えた影響は計り知れないものがある。

話はまだ続く。

昭和43(1968)年、内田邸の敷地内の離れに「アップルハウス」が誕生する。
アップルハウスとは、日本におけるビートルズのファンクラブであった「ザ・ビートルズ・シネクラブ」事務局を中心とする反体制的なコミューンだった。

ここには高校や大学を“ドロップアウト”した若者が集まり、反戦コンサートやロック新聞の発行など、枠にとらわれない反体制活動を展開していた。

さらに内田邸は昭和43(1968)年に東由多加が設立した東京キッドブラザース(柴田恭兵や三浦浩一が在籍)の劇団事務所や、ウォーター・デザインスコープといったデザイン会社の事務所としても使用されている。

この辺の事情は長沼行太郎が「団塊パンチ」に詳しく書いているので、興味のある人はコチラをクリック。

ってなわけで、「代官山の地に眠る物語」に憧れて、この地に自宅も事務所も構えたボクとしては南平台から横浜に移築された「外交官の家」を、一度この目で見ておきたかったのだ。

横浜市街を見下ろす高台に立つ瀟洒な洋館と、反体制コミューンや「平凡パンチ」は、なんだかミスマッチな気もするが、昭和32年から47年までの15年間、内田邸は間違いなく日本の若者文化の発信基地だったのである。

いま内田邸の跡地には味気のない大きなマンションが建っている。

by novou | 2012-09-08 09:06 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 17日

埋め立て地にて@横浜みなとみらい

2012/02/17(金)
晴れのち雨か雪/8℃

エフェクトがかかった暑苦しい写真が続いたので、きょうはあっさりと…。



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by novou | 2012-02-17 09:01 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 30日

新大久保→エネルギッシュなコリアンタウン

2012/01/30(月)
晴れ時々曇り/6℃

寒い日が続いていますが、風邪など引いてませんか?
FBを見てると、インフルエンザが流行りはじめたみたいです。
とくに幼い子がバタバタとダウンしているようですね。
友だちの娘や息子もインフルと診断されたみたい。心配ですねぇ。
いっぱい栄養をとって、薬を飲んでゆっくり休んでくださいね。
そして、外から帰ってきたら、うがい&手洗いをお忘れなく。

さて、きょうはとくにこれといってブログにアップする話はないのですが、
先日、クルマで新大久保を通りかかった時の写真をアップしておきます。
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とにかく、あまりの人出と変わりようにビックリしました。
おもわずクルマをワクに止めて、1時間だけ探検しましたよ。
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昔(といっても15年前くらい)、この辺りはデンジャラスゾーンで、
路地に入ると怪しい雰囲気ぷんぷんでした。
電信柱の陰には世界各国の女性たちが立っていて、
「オニイサン アソンデカナイ」って、片言の日本語で声をかけてたものです。
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それがいまや韓流ブームで、すっかりオバサマたちの街に変わっているではありませんか。いま、日本でいちばん元気な街かもね。
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昔から韓国料理屋が多いエリアではありましたが、それに韓流スターのグッズを売る店や、韓国のエステ用品を売る店が加わって、スンゴイ事になっているのです。
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ウチのオクさんは韓国に行ったことがないので、今度、連れて行ってあげようかしら。
マッコリ飲んで、サムギョプサル食べて、垢すりして、お土産にカタツムリクリーム買ってさ…w。
あと、KARAがいると最高なんだけどねぇ…w。

by novou | 2012-01-30 18:44 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 26日

横浜中華街春節祭

2012/01/26(木)
晴れのち曇り/8℃

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春節祭で賑わう中華街に行ってきました。
とくに目的があるわけではなく、仕事がやっと一段落したので、
ふらっと、どこかに出かけたくなったのです。
東横線の特急に乗れば、渋谷→中華街までは30分ほど。
近くなったよねぇ。
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中華街では最初に関帝廟にお参りしました。
ボクにとっては、これがことしの初詣です。
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ちなみに、関帝廟の関帝とは三国志の英雄、関羽のことで、
中国では商売の神様として絶大な人気があります。
中華街など華僑の街には、必ずといっていいほど廟や祭壇が設けられているそうです。
関帝さまには「オクさんの本がたくさんの人に読んでもらえますように」とお願いしてきましたw。

お昼は香港路にある保昌で、鶏手羽のスパイシー揚げをつまみながら昼ビール。
うまいんだなぁ、これが…。〆は牛バラそばかカレーかけ飯かで悩んだけど、
結局、カレーにしました。
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煮込まずにさっと炒めて作る中華のカレーは、香りが際立っていて、たまらんのです。
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中華街は昔、ずいぶん取材したので、お粥なら謝甜記か安記、水餃子なら山東、北京料理なら華都飯店、広東なら保昌か頂好っていうふうに決めています。
値段も庶民的だしね。

帰りには金陵によって腸詰めと焼豚をお土産に買って、帰ってきたのでありました。
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久々に出かけた中華街は、占い屋と焼き栗屋が異常に増えておりました。
新年だし、みんなことしの運気を占ってもらうんでしょうかねぇ。

by novou | 2012-01-26 23:46 | 街の記憶 | Trackback | Comments(0)