東京ベランダ通信

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2008年 10月 07日

寒露の朝に

2008/10/07(火)
晴れのち雨/24℃

f0160063_88581.jpg夜明け前に目が覚めた。

といっても夏であれば、
とっくに日は昇っていて、
ボクはベランダの水やりをしている時間である。

いま、東京の夜明けは
5時40分ごろ。
日の入りは17時15分ごろである。

ずいぶんと日が短くなった。


窓辺に座って、
夜が明けていく街を
眺めるのが好きだ。

夜明けの空はブドウ色 
街のあかりを
ひとつひとつ消していく 
魔法つかいよ

と、若き日の荒井由実は歌ったが、
朝の柔らかな光に包まれて、静かに眠りから覚めていく街は美しく、感動的だ。
光はすべてを浄化し、TOKYOの街を再生させる。

東京タワーは霞んでいる。
屋根は露に濡れている。

明日は寒露。
冷たい露の結ぶ頃だ。
山の木々は紅葉の準備に入リ、
秋もいよいよ本番である。
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by novou | 2008-10-07 06:33 | 日々の暮らし | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 04日

焚き火のこと、ストーブのこと

2008/10/04(土)
晴れ/25℃

f0160063_2082036.jpg
北海道の家には子どもの頃、大きな石炭ストーブがあって、
その上では薬罐や鍋がいつもコトコト鳴っていた。
シュンシュンあがる湯気は「アラジンと魔法のランプ」のジーニーのようで、
ひとりっ子で鍵っ子だったボクの孤独をずいぶんと紛らしてくれた。

ストーブは暖房器具であり、調理器具であり、なによりボクの友達だった。

長い時間、ボクは飽きることなく湯気を見つめ、炎を見つめて過ごした。

お腹が空くと、干し芋を焼き、スルメや棒ダラを炙った。
それらは最高のおやつだった。

石炭をくべるのはボクの仕事である。
父は10歳のボクに、火の起こし方、石炭のくべ方、
灰の捨て方をすべて仕込んだ。
いちばん厳しく教えられたのは、火の怖さだった。

実際、独りでストーブに火をおこす時は緊張した。
丸めた新聞紙の上に木っ端を置いて、マッチで火をつけるのだが、
この時、息を止め、気合いを入れなければ、
マッチが折れたり、発火しなかったりするのだ。

巧く新聞紙に火がつき、小さな炎が木っ端に燃え移ると、
重い鉄のシャベルで、そおっと石炭をくべる。

ここからは念力が事の成否を左右する。
ボクは「燃えろ、燃えろ」と、ひたすら念を送る。

一発で石炭に火がつくと内心、大得意であった。
炎は赤い渦を巻き、やがてオレンジ色にかわり、
そして最後は青白く変化する。
ボクの緊張は、ここでやっと緩和に向かうのだ。

ここからは火を安定させ、絶やさないようにするのが仕事となる。
ボクは時折、ストーブの小さな扉を開けて、
デレッキ(火かき棒)で熾火(おきび)を均(なら)し、
シャベル一杯の石炭をくべる。

ストーブの前に陣取り、こうして吸気口を調節したり、
灰受けをきれいにして、火を制御していると、
ボクは一丁前の大人になったような気がしたのである。


時が過ぎ、小学生も高学年になると、
我が家の石炭ストーブは石油ストーブに変わった。

石炭を小屋から運び、
新聞紙や焚きつけで火をつけるという神々しい作業はなくなり、
一斗缶からストーブに石油を補充するという単純作業だけが残った。

火を制御するのはボクではなく、
ストーブの前面についている小さなつまみだ。

時代はさらに進み、いまは炎も見えないのに、
スイッチひとつで部屋が暖まる。
便利といえば便利だが、この便利のために失ったものは、
とてつもなく大きい気がする。


秋になると無性に焚き火がしたくなる。
落ち葉焚きをしたいとか、
焼き芋をしたいとかではなく、
ただ炎を見つめるための焚き火がしたいのだ。

理想をいえば、毎年通った紅葉のきれいな裏磐梯の湖畔や、
奥多摩の静かな森の中がいいのだが、
我が家のベランダも捨てたものではない。

薪や焚きつけは近くの公園を回って、
少しずつ集めてくればいい。

焚き火に点火するのは、
街に明りがともり始める夕間暮れがいちばん美しい。

ボクはリモコンスイッチひとつで、
明りがついたり、お湯が沸いたりする最先端の文化都市TOKYOに
抵抗の小さな烽火(のろし)を上げるのだ。

烽火は日没とともに炎に変わるだろう。
ボクはその炎を慈しむように育て、大きくする。
ボクの意思に制御された炎は、決して高ぶることもなく、
ゆっくりと穏やかに燃えていく。

炎はひれ伏すものにだけ、微笑みかける。
ボクはその微笑みに引き込まれていく。

このとき燃えているのは、もはや有機物ではなく、
ボクの自我や煩悩だ。
自我は自我のままに、煩悩は、煩悩のままにただ燃えていく。
燃やし尽くそうという意志を離れてそのままに耳を傾けたならば、
煩悩の燃え盛る炎の裏には、静かに真如が響きわたっている。

ボクはいつまでもいつまでも炎を見つめ、
発する音に耳をそば立てる。

やがてすべてがゆっくりと消失し、
清らかな灰に還っていくのを、
ボクは畏敬の念を持って、しっかと見届けるのだ。
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by novou | 2008-10-04 12:55 | ボクらのベランダ物語 | Trackback | Comments(2)
2008年 10月 01日

さよなら、キヨハラ。さよなら、王さん

2008/10/01(水)
雨/22℃

f0160063_15345975.jpg涙に始まり、涙で終わった野球人生だった。
夜のニュースでキヨハラの引退セレモニーを見た。

長渕が3万人のファンと万感の思いを込めて「とんぼ」を熱唱し、スタンドではイチローや桑田が、最後の勇姿を見送った。

試合前にはソフトバンクの王監督から花束を贈呈され「来世生まれ変わったら一緒に同じチームでやろう。そこでホームラン競争しよう」と声をかけられた。
キヨは肩を震わせ号泣していた。

キヨハラは85年のドラフトで入団を熱望していた巨人の王監督から1位指名されず、悔し涙をこぼしている。男泣きしたキヨハラはその夜、岸和田の実家に飾ってあった王監督のパネルを外し、西武に入って必ず見返してやると誓ったという。

しかし、もうわだかまりは解けている。
王さんのひと言で、キヨの心の片隅に突き刺さっていたトゲはきれいに抜けた。

それにしても、王監督の言葉はなんて素晴らしいんだろう。監督は2年前に胃ガンを患い、胃を全摘している。今シーズン限りでの引退を決めたのも体調不良からである。
監督はすでに死を意識している。でも、世界の王はたとえその身に死が訪れたとしても、恐れはしない。また来世に野球をするために死ぬのだと達観しているからだ。そして、生まれ変わったら、今度こそキヨハラと一緒に野球をしたいと、熱望しているのだ。

王さんとキヨハラが同じチームで野球をしているなんて、想像しただけでワクワクする。ボクも生まれ変わったら、絶対見てみたいと思う。
できることなら、その時は金本も仲間に入れて、3人でクリーンアップを組んでほしいなぁ。

ところで、キヨハラの花道を飾っていた黄色の花は、ランの一種「オンシジュウム」だ。
花言葉は「可憐」「清楚」「一緒に躍って」…だ。
なんでや、キヨハラっ!!
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by novou | 2008-10-01 23:24 | 番外編 | Trackback | Comments(2)