東京ベランダ通信

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2018年 11月 25日

11月のベランダ

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先月とあまり変化のないベランダである。

マンションの大規模改修に向けて、ベランダの縮小計画を進めているのだが、
100鉢ぐらい処分しても残っている植物たちがみな生長しているので、見た目はあまり変わらないのだ。


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さて、台風で痛んだバラがやっと復活してきて少しだけ花を咲かせている。
かなり遅めの秋バラだ。

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今年はユズが裏年なのか1個しかならなかったが、レモンとキンカンは豊作。

ゴールドリーフ紫陽花の紅葉がきれい。

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そんな11月のベランダである。



11月覚書
●簀の子を塗り直し、部屋のテーブルもワックスやオイルを塗ってリペアした。
新品のようにきれいになったテーブルは気持ちがいいね。
●寒くなってきたのでチランジアを室内に取り込む。
●乾燥してきたのでオクさんは魚を干したり、リンゴや白菜を干したり…。
●ドレーンの散水調査(階下で漏水があったらしい)


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by novou | 2018-11-25 15:30 | ベランダ歳時記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 17日

火を囲むという事

きょうはベランダごはんだ。

わが家では備長炭を贔屓の炭屋さんに配達してもらっているのだが、最近は紀州備長炭も豊後備長炭も品薄で、
きょう、はじめてラオス備長炭なるものを使う事に…。

品薄のわけは需要が増えたことと、度重なる台風で原料となるウバメガシが大きな被害を被ったからだそうだ。

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備長炭は硬く、火が熾るまでに30分ほどかかる。
まず、1人用の固形燃料(料理屋さんがお一人様用の鍋に使う丸い水色のアレね)に火をつけ、
その周りに備長炭を塔のように高く積み上げる。

積み上げたら団扇で煽いだりせずに、ただひたすら待つ。
効率を上げようとか、時間を節約しようなどと思ってはならない。
30分は絶対時間なのだ。
炭がかんかんに熾るまではなにもせず、どんと構えて知らんぷりの放置プレイがよろしい。

やがて炭の塔は真っ赤に燃えはじめるだろう。
そうしたら塔を崩し、再び放置。
全体に火が回ったところで焼きにかかる。


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ソーセージがちゅんと鳴き(おまえはスズメか!)、エリンギが汗をかき、カブラが湯気を立ててふつふつと沸騰する。

ああ、うまそうな匂いだ。あつあつをふうふうしながらかぶりつく。

横でオクさんが初物のワカサギを揚げている。
てんぷらにするなら人さし指ほどの小さいのが旨い。


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カスベは唐揚げだ。
道産子のソウルフード、オレはカスベで大きくなったのだ。


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ノドグロも長芋も鶏もももランプも焼いた。


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何度こうして火を囲み、メシを食っただろう。

火を囲めば囲むほど、人生は豊かになるような気がする。


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by novou | 2018-11-17 21:31 | ベランダごはん | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 02日

あらまほしき日常と人生の仕上げ

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「あらまほし」は吉田兼好の『徒然草』によく出てくる言葉だ。

いまの言葉でいうと「こうありたい」とか「望ましい」とか「憧れの」いう意味。

だから、「あらまほしき日常」とは「毎日がこうだったらいいな」とか「憧れていたのはこんな暮らし」ということかな。

人生も終盤にさしかかり、長いこと不自由な入院生活をしていると「あらまほしき日常」とは何だろうと考える。

ボクにとってのあらまほしき日常は、心おだやかに暮らせる家と、季節を感じられるささやかな庭のある暮らしだ。
もちろん、愛する人と愛するものにも囲まれていたい。

兼好法師は「朝夕、無くて叶はざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞ、あらまほしき」と、持たない生活を勧めたり、
「人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁れむ事こそ、あらまほしけれ」と、俗世間から離れた隠遁生活を称賛している。

でも、ボクはかなりの俗人なので都会暮らしからは抜けられそうもない。
好きな寄席にも行きたいし、映画やコンサートもたくさん観たい。
あちこち散歩して、おいしいものを食べ歩くのも大好きなのだ。

思えば若い頃はモノが増え、暮らしが拡がっていくことを夢見ていた。
でも、いまは物欲はなく、ただただ縮小の時期だ。

齢(よわい)を重ねると生活の澱のようなものが溜まってくる。
その澱のようなものを捨てて、人生の仕上げをしたいのだ。
とにかく身軽になって、いまは生活にも心にもたくさんの余白を作りたい。

本を捨て、雑誌を捨て、靴や衣服を捨て、CDやビデオやDVDを捨て、10年育てた植物を捨て、家電や家具を捨て、キャンプ道具や登山道具を捨てた。

それらはボクの「過ぎた時」でもある。

「過ぎた時」を捨てると、いまの自分にいちばん大切なモノが見えてくる。
ありふれた生活の中に愛おしいものと、愛おしい時間だけがあぶり出されてくる。

きょうもまたボクは何かを捨てるだろう。

もう少しでボクは、「あらまほしき日常」に手が届きそうな気がしている。




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by novou | 2018-11-02 10:47 | 暮らしを考える | Trackback | Comments(0)